大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和34年(刑わ)3730号 判決

主文

被告人を禁錮六月に処する。

訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、かねて第二種自動三輪車の運転免許を受けて、自動車運転の業務に従事したものであるが

第一、昭和三十四年一月六日午後七時三十分頃から東京都墨田区吾嬬町西七丁目十五番地の父植田正雄方で清酒三合位及びウイスキー一合位を飲み、少しく酒に酔つて、同日午後八時四十五分頃同所から肩書自宅に向け自動三輪車を運転して帰路についたが、このように酒気を帯びたまま自動車を運転するときは正常な運転ができない虞があるのみならず、更に酔が廻つて前方注視などが困難となり、正常な運転ができなくなるから、かかる場合、自動車運転者は予め休息して酔の醒めるのを待つて運転し、以て事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘らず、敢て前記自動三輪車を運転し、以て無謀操縦をした過失により、同都葛飾区本田渋江町千二十四番地先四ツ木橋を経て、同日午後九時二十五分頃旧四ツ木橋通り方面から大和ゴム踏切方面に向け同区本田二百十七番地先路上にさしかかつた際、ついに前方注視ができなくなり、同路上右側に設置してあつた街路灯に自動車を衝突させて把手を左方にとられて進行したため、折柄自転車に乗り対向して来た楠留蔵(当五十年)に自車の前部を衝突させて、同人を路上に転倒させ、因つて、同人に対し約一ヶ月間の安静加療を要する脳震盪症、頭部挫傷、左拇指骨折挫創等の傷害を負わせ

第二、これより先同日午後九時二十分頃前記自動三輪車を運転して前掲四ツ木橋上を進行し、折柄対向して来た長谷川義夫の運転する普通乗用車の右側面に自車の前部を衝突させて向側面に凹凸、電裂を与えるなど甚しくこれを損壊したが、道路における危険の防止その他交通の安全を図るため必要な措置を講じないで、そのまま運転を継続してその場を去つたものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

被告人の判示所為中、第一のうち、業務上過失傷害の点は、刑法第二百十一条前段、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、同無謀操縦の点は、道路交通取締法第七条第一項、第二項第三号、第二十八条第一号に、第二の点は、同法第二十四条第一項、第二一八条第一号、同法施行令第六十七条第一項に各該当するところ、業務上過失傷害と無謀操縦の行為は、一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから刑法第五十四条第一項前段、第十条に従い重い業務上過失傷害の罪の刑により、なお以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、所定刑中いずれも体刑を選択したうえ、同法第四十七条、第十条に従い重い業務上過失傷害の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を禁錮六月に処し、訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に従いこれを全部被告人に負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、(一)判示各犯行につき、被告人は乗車する前に飲酒して酩酊し、犯行時は勿論のこと乗車前已に心神耗弱の状態にあつたものであるから、その刑を減軽すべきものである。(二)判示第一のうち無謀操縦の点につき、右は故意犯であるから、犯罪の成立には正常な運転ができない虞のあることの認識を要するところ、被告人は運転開始のとき及び運転中酩酊して正常な運転ができるものと盲信していたのであるから、その犯意を欠いて本件は無罪である。(三)判示第二の点につき、(イ)本罪は故意犯であるから、犯罪の成立には人を殺傷し又は物を損壊したことの認識があつたことを要するところ、被告人は心神耗弱の状態にあつて物を損壊したことの認識がなかつたのであるから、その犯意を欠いて本件は無罪であるのみならず、(ロ)道路交通取締法第二十四条第一項、同法施行令第六十七条第一項は、道路交通の安全を保護法益とし、交通事故によつて道路の交通が不可能になるとか、或は相手の車の前照灯を損壊したとか、又は自車の制動機を損壊したという場合、これをその尽に放置しておくときは道路交通の安全を脅かすこととなるから、かかる場合に道路における危険の防止に必要な措置を講じないことが即ち本条違反となるものであるが、交通によつて相手の車を損壊しても、そのため道路交通の安全を脅かす別の危険が発生しない限り本条違反の罪は成立しないというべきであり、本件において相手及び自己の車に損壊を生じたものの、それは道路交通の安全に何等の関係がなく、道路交通の安全に必要な措置をとるべき状況が発生しなかつたのであるから、毫も道路交通の安全を脅かすことがなく、道路交通の安全のため講ずべき措置が存しないので、本件は罪とならない旨主張する。

然しながら、右(一)については、被告人が本件に際し乗車する直前に相当量の飲酒をして酔つたことは判示認定のとおりであるが、前掲被告人の供述調書の記載及び供述によつて認められる乗車時から判示第二の犯行時を経て判示第一の衝突時に至る間及びその前後における被告人の行動及びその経緯、特に被告人が乗車に際して今日は酔つていると思つたが二十分で帰れるから大したことはないと思つて運転したということ及び判示第二の衝行時に際してドンとショックを感じて衝突したと思つたが大したことはないと思つてその侭進行したということなど当時における被告人の精神活動の程度、更に事後これらの記憶がほぼ整然と存することなどに徴して、判示第一の衝突時及びその頃においては被告人の理非を判断し、かつ、これに従つて行動する各能力が著しく減弱していたと認めるのを相当とするが、これより先判示第二の犯行時及びその頃においては未だ右各能力が著しく減弱していたものとは認められない。そうすると判示第一の無謀操縦及び業務上過失傷害の各所為については、いずれも被告人の正常の精神状態時における故意(無謀操縦)及び過失(業務上過失傷害)の責任を問うものであり、判示第二の所為については、右のとおり当時心神耗弱の状態にあつたものではないから、右主張は採用し得ない。次に、右(二)については、道路交通取締法第七条第一項、第二項第三号の無謀操縦となる酩酊運転は、故意犯であり、従つて正常な運転ができない虞がある程度に酒に酔つていることの認識があることを要するというべきであるが、正常な運転ができない虞があるとのことは酩酊の度合をいうものであるから、その認識は犯人が正常な運転ができない虞があると判断すると否とに拘らず、一般に正常な運転ができない虞があると認められる程度に酒に酔つているその酩酊の度合の認識があることを以て足るというべきであり、本件において被告人は判示のとおり相当量飲酒して乗車時已に正常な運転ができない虞がある程度に酔つており、前記被告人が乗車に際し今日は酔つていると思つたが二十分で帰れるから大したことはないと思つて運転したとのことは、被告人が当時その酩酊の度合を十分に認識していたことを示すのみならず、寧ろ正常な運転ができない虞のあることを意識したことが窺われ、その犯意に欠くるところはなく、結局右主張は採用し得ない。右(三)の(イ)については、道路交通取締法第二十四条第一項、同法施行令第六十七条第一項に規定する事故を起した場合の措置を欠く罪は、故意犯であり、車馬等の交通により人の殺傷又は物の損壊があつたことの認識を要することは勿論であるが、車馬等の交通により衝突事故を起したことを認識した以上、当然に殺傷又は損壊のあつたことを認識する筋合であり、本件において前記被告人がドンとショックを感じ衝突したと思つたが大したことはないと思いその侭進行したことは即ち右のとおり当時被告人に少くとも物を損壊したことの認識があつたことを示すものであつて、その犯意に欠くるところはないから、右主張は採用し得ない。更に右(三)の(ロ)については、道路交通取締法第二十四条第一項、同法施行令第六十七条第一項が道路における交通の安全を主たる保護法益とし、人の殺傷又は物の損壊がなかつた場合は、道路交通の安全を害するなどの事態が全く生ぜず、従つていわゆる事故を起した場合の措置を講ずべき義務がないことは勿論のことであるが、いやしくも物の損壊があつた場合は、一般に如何なる道路交通の安全を害する事態を生じ、又はその虞を生じたかも知れず、道路における事故発生経緯の微妙、かつ、その結果の重大な点に鑑みて、道路における危険の除去、防止に万全を期すべきは当然の筋合であるから、右法条においても、物の損壊が著しく軽微でその発生の経緯から一見してなんら道路交通の安全を害する虞すらないことが明らかな場合を除き、その他の場合は、すべて、当該運転者らに対し、物の損壊の状況、特に道路交通の危険の有無、状況を確認し、道路交通の危険を生じている場合はこれを除去し、結果としてはその危険を生じておらず従つて具体的措置を講ずる要がなかつた場合においても、これを生ずる虞があつたものとしてかかる危険の全く生じないことを十分に確認することが即ち道路における危険の防止、交通の安全を図るため必要な措置として要求しているものと解すべきであり、本件において被告人が自動車を運転し対向して進行して来た自動車に衝突し、その右側面に損壊を生じたことは、判示認定のとおりであり、なお前掲当該各証拠により右損壊は結果としては道路交通の危険を生じておらなかつたとはいえ、相当甚大であつて、その危険を生ずる虞があつたことが認められ、従つて被告人において道路交通の安全を害することの全くないことを十分に確認すべきであつたのに拘らず、これを怠りその侭進行し去つたのであるから、右法条に定める義務を怠つた責に任ずべきものであつて、右主張もこれを採用し得ない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 石渡吉夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例